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7.04.2008

Gates may be gone, but the walls and bars

It's not the Gates, it's the bars (BBC)
B.Gatesの退任について数多くの人がコメントを出しているが、これが最も面白いコメントだろう。MITのAIラボで頬を濡らしFSFを今なお牽引しているあのRichard Stallmanのコメントである。なんというか、これはまぁBBCくらいしか載せないだろうなと思わないでもない。以下訳文、かなりテキトー。

Bill Gatesの退任に気を注ぐばかりに、重要な事を見逃している。本当に問題なのはGatesじゃない、Microsoftでもない、非倫理的に制限を課してくるシステムであり、Microsoftやそれに類する多くのソフトウェア企業が顧客に虐げてきた行為である。

このように言ったら皆さんを驚かすかも知れませんね、だってコンピュータに興味を持つ多くの人々は
Microsoftに強い思い入れがあることでしょうから。ビジネスマンや飼い犬である政治家たちは多くのユーザを従えた帝国を築いた業績に賞賛を浴びせます。この分野の外に居る方々は、コンピュータを安く速くそして便利なGUIを用意してくれるMicrosoftの先進性を信頼しています。

Gatesの発展途上国に対する健康医療分野での慈善事業は、幾らかの人々から賛同を得ました。LA Times誌は彼の基金が年間5-10%を活動に投じ、残りを企業の研究開発に投じていると報じました。でもその企業はそういった途上国で非難を受け、時には問題視されている疑いもあります。

多くのコンピュータ関係者は格別にGatesとMicrosoftを嫌っています。山ほど理由があるのです。

「資金調達」
Microsoftは継続的に競合へ圧力をかけ、現に過去三度も有罪判決を受けています。二度目の判決に際して免責を働きかけたGeorge W.Bushは、2000年度の選挙においてMicrosoftから多額の資金提供を受けています。
多くのユーザが"Microsoft税"を嫌っています。リテール品のコンピュータを買うと、例えWindowsを使わなくともその代金を支払わされるのです。

またDigital Restrictions Managementという機能は、貴方のファイルに貴方が自由にアクセスすることを禁止するためのものですが、これは制限の増えたVistaの中でも飛びっきりの新機能です。

「不当な非互換性」
そして不当な非互換性、他のソフトウェアとの相互運用が妨げられる問題があります。このためにEUはMicrosoftにインタフェース仕様の公開を要求しました。これを受けてMicrosoftは今年、文書に関するごつくて不明瞭で実装不可能な特許付きのオープン仕様をISOに通すため、これれを支持する委員たちを標準化委員会に送り込みました。EUは現在この件を調査しています。

これらの行為はもちろん容認し難いことです、でもそれはただ別々に起こったというわけではないのです。これは多くの人々が気付いていないより深遠な問題がもたらしている症状なのです。独占的ソフトウェアという問題です。

Microsoftのソフトウェアはユーザを分け隔て不自由に縛り付けるライセンス下で配布されています。ユーザは他人とコピーを共有出来ないために分断されます。ユーザはプログラマが読書きの出来るソースコードが提供されないために不自由を被ります。

もし貴方がプログラマでソフトウェアを変更したいとしても、貴方も他の誰もそれが出来ないのです。もし貴方がビジネスマンで必要に適したソフトウェアに変更するためにプログラマを雇いたくとも、それは出来ません。貴方の友達とコピーを共有すれば、それがたとえ隣人との親睦行為であっても、彼らは貴方を"海賊"と呼ぶでしょう。

「不公平なシステム」
Microsoftは私たちが隣人にする慈善行為を、他の船を攻撃するような非道徳的行為だと看做します。重要なことはMicrosoftがこのような不平等な社会システムを促進してきたということです。コピーソフトを共有したユーザを叱責した悪名高い公開文書で、Gatesは個人的に認知されています。その文書はこんな趣旨の内容でした。
もし僕が君たちを分け隔て、不自由にする事を拒むならば、もうソフトウェアを書かないし君は二度と手にする事が出来ないだろう。 僕に明け渡すか、君が消え去るかだ!


「システムを変えよう」
Gatesが独占的ソフトウェアを発明しなかったとしても、他の数千という企業が同じことをするでしょう。それは間違っているのです、誰がやったとしても。Microsoft、Apple、Adobe、そして他の残りの企業が貴方にソフトウェアを提供してきます。そのソフトウェアを貴方が買うことで、彼らはより力を付けていくのです。役員や企業が変わることは大して重要ではないのです。このシステムを変えなければなりません。

それがフリーソフトウェア運動の全てなのです。「フリー」とは制限の無い自由、共有や改変が自由に出来るソフトウェアを書いたり公開する世界です。

私たちは自由のために、組織的な取組みを、ある者は報酬を得、またほとんどの者はボランティアで、活動しています。私たちは既にGNU/Linuxというフリーなオペレーティングシステムを完成させました。

1984年、私がフリーソフトウェア運動を始めた頃、Gatesの手紙にはほとんど気を止めませんでした。でも他にも幾つか似た要求が来たものですから次のように返事をしました。
貴方のソフトウェアが私たちを分け隔て不自由に縛り付けるなら、どうぞもう書かないで下さい。 それが無くっても私たちは上手く行ってます。コンピュータの別の使い方を見つけ、自由を守り通すでしょう。


1992年、Linuxカーネルの導入によってGNUオペレーティングシステムが完成した頃はまだ、それを利用出来るのはコンピュータウィザードに限られていました。今やGNU/Linuxはユーザフレンドリーで、スペインやインドの一部では学校の標準OSとなっています。数千万の人々が世界中でそれを使っています。貴方も使えるのです。

門は崩れ去ったかも知れませんが、Gatesが築いた独占的ソフトウェアの壁は未だ高くそびえています。この壁を取り壊すとき、私たちはより高みに上るのです。

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Taito, Tokyo, Japan
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