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6.27.2008

一切衆生有仏性、一切衆生無仏性

かつて抗州の斉安国師は一切衆生、有仏性と語った。これの意味するところは、全ての衆生すなわち誰の心にも、仏性が有るということである。竜樹尊者の説くところによれば、仏性とはまさに円月相であり、満月のように虚ろでそしてはっきりと明るいのである。これは仏性が諸相の全分であって、決してこの中のどれかが或いははっきりと存在を知覚出来る物質ではないというのである。よって国師は仏が説く通りに仏法を語ったのであり、全ての衆生は即ち仏性なのであり、草木国土は心であり、日月星辰もまた心であり、仏性とは悉有なのだ。

大円禅師は一切衆生、無仏性と語った。これの意味するところは、全ての衆生とはまさに仏性であり、悉有なのであって決してただ一つ有る物では無いのだということである。万有の諸相は全て仏性である。仏はその中を漂う船であり、一時の相は仏性であり、また一時の相は仏性である。透けるが如く過ぎ去るのが仏性であるというのでもない。仏が涅槃に向かうのである。だから仏性は仏法の内にこの世を満たし、衆生が有りなどしないのだ。

万事がこのようであるから、禅問答はしばしば僧の心を乱すのだ。妄想するなかれ、全ては仏法が定める仏性である。それは点の力学から場の力学へと発想を転換することと同義なのである。

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